高校生の頃、私は3つ年上の彼に出会いました。
男気があって、どこか大人で、頼れる存在。
私はすぐに彼を好きになり、どんどん惹かれていきました。

「彼のために何でもしてあげたい」
そんな風に思っていた私にとって、“尽くすこと”は愛の証でした。
彼の望む通りに動き、彼の言う通りに生きる。
それが、当たり前になっていったのです。
束縛を「愛」と思っていた
彼はとにかく束縛が激しい人でした。
でもその頃の私は、それを“深い愛情”だと勘違いしていました。
たとえば、会社の飲み会がある日。
「21時に終わる予定」と伝えると、21時ちょうどから、電話が鳴りっぱなし。
職場は体育会系の厳しい環境で、下っ端の私は、先輩たちを見送らなければ帰れない。
電話に出られないのは当然だったけれど、それが彼には通じない。
帰宅すれば、玄関先から怒鳴り声。
「なんで出なかったんだよ!」
「何してたんだよ!」
理由を説明しても聞く耳を持たない。
数時間にわたり、私を責め立てる。
その間、彼の口癖はこうでした。
「君が悪い。俺は正しいことを教えてあげてるだけだよ」
私が悪いんだ。
そう思い込むようになっていきました。
子供が生まれても変わらなかった現実
結婚して3年目。
待望の第一子が生まれました。
生まれてきてくれた息子は、小さくて、温かくて、私にとって希望そのものでした。
でも、夫の態度は変わりませんでした。
夜中の授乳やおむつ替えで寝不足が続く中、帰宅した夫から言われたのはこんな言葉。
「で?俺の飯は?」
命を守るように必死で育児に向き合っているのに、
私という“人間”はそこにいないかのような扱い。
限界がきたのは、あの日
あの夜も、息子は泣きやまず、私は抱っこしながらリビングで座り込んでいました。
「どうしてこんなに怖い顔で怒鳴られる毎日を、この子にも見せなきゃいけないんだろう」
ふと、そんな思いがこみ上げました。
「私が壊れてしまったら、この子は誰が守るの?」
その瞬間、心の中で何かが“プツン”と切れました。
翌朝、荷物をまとめて、息子を抱いて、家を出ました。
離婚、そして“0歳の母子2人”のスタート
住む場所も、仕事も、何も決まっていなかったけれど、
あの家にいるよりずっとましだと思えた。
怖くて、不安で、眠れない日もありました。
でも、息子が寝顔で笑ってくれた夜、私は「大丈夫」と思えました。
それから7年。
母子ふたりで、泣いて、笑って、前を向いて生きてきました。
今、同じように悩んでいるあなたへ
「モラハラかもしれない」「私が悪いのかも」
そう思いながら日々を耐えている女性がいるなら、伝えたいことがあります。
あなたは悪くない。
あなたの人生を“誰かの機嫌”に支配されてはいけません。
あなたが笑える毎日を、生きていいんです。
私がそうだったように、必ず道は開けます。
次回の記事では、シングルマザーとしての生活をどうやって立て直していったか、仕事・お金・子育てのリアルについて書いていきます。
少しでも誰かの背中をそっと押せたら嬉しいです。
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